卵から孵った子 1-1
砂漠に落ちた、ひとかけらの氷片が子を救う。
すとん、と落ちた長剣の刃は、大砂蠍の頭に吸い込まれるようにして突き刺さった。動きを止めた砂蠍を手際よく解体し、担いできた布袋に収める。都合三匹の砂蠍の詰まった袋の、ずしりとした重さを感じながらオベラルタは踵を返した。
艶のある黒髪をやや長めに揃えている。髪と同じ黒の瞳は、抜け落ちたように何の感情も表していなかった。陽射しを避ける黄砂色の長外套に身を包み、平凡な長剣を佩いている。人形のように変わらない表情をのぞけば、ごく普通の旅人の装いだ。
視界はひりつくような日差しを受ける一面の白砂と、まぶしいほどの雲ひとつない青空の色彩があざやかだった。自然のもたらす一種の芸術とすら呼べる美しいマカラタ砂漠の光景に、オベラルタの黒い姿は異物のように影を落としている。
故国を失い、あてのない旅を繰り返しているオベラルタがマカラタ・オアシスの集落に身を寄せてから、一週間ほどが経つ。
定期的に商隊が訪れはするものの、基本的にオアシスの生活は自給自足だ。よそ者に分けられるような蓄えはそれほどない。最低でも自らの分は自力で確保することで、オベラルタは滞在を許されていた。
大砂蠍一匹で、おおよそ一日の一人分。余計に獲った獲物は、まだオアシスから出ることを許されていない子どもたちのものになるだろう。
布袋を担ぎ直して砂を踏んだオベラルタの視界に、きら、と反射する光が飛び込んだ。
オベラルタは足を止める。じ、と光に視線を向け、目を凝らす。きら、きら、と白砂を背景に、輝きは無作為に光を反射しながら留まる様子はない。何かが動いている。
一度爪先を向けると、あとの迷いは一切なかった。オベラルタの踏む砂は、しらしらと淑やかな音を立てて流れていく。
――そして、出会う。
細やかな白砂に半ば埋もれるようにして、ちょうど五、六歳ほどの子供が丸まったような大きさの卵が落ちていた。殻は既に薄くなりつつあり、時折ぐらりぐらりと動いている。いまにも孵らんとしていた。
辺りを見回す。巣のようなものは見当たらない。ただただ、くっきりとした青と白の境界線が伸びているのみだった。
「鷹、これをどう見る」
感情の伴わない淡々とした独り言に、どこからか返る声があった。
『知らぬ』
声は平静に、冷たく述べた。
『わからぬ。気配が読めぬ。ヒュムではない。フェイシスでもない。かといって魔物でもない。……なんだこれは?』
オベラルタの肩には、いつの間にか一羽の鷹が留まっていた。微かに透けた薄氷の白の色彩をまとった異形の鷹は、体色と同じ薄氷に塗りつぶされた瞳で卵を凝視している。
『わからぬ。とんとわからぬ。生命の気配はある。しかしこれを生物と呼んでよいのか?あまりにも混じりすぎている』
「混じる」
鷹の声ならぬ声を復唱したオベラルタは、ゆっくりと謎の卵へ距離を詰めた。殻をのぞきこめば、うっすらと透ける卵のなかに、やわらかそうな赤子のてのひらが見えた。
「人だ」
声は確信を持ちながら、やはり情感が抜け落ちている。
「人のかたちをしている」
外に出たいと訴えるちいさなてのひらに、オベラルタは静かに応える。懐に収めていた解体用のナイフを取り出し、そのきっさきで慎重に殻を叩く。親鳥がくちばしで雛の殻を除くように、丁寧に。
コツ、コツ、ぴきり、とひびが入ると、あとはあっという間だった。ひびは瞬時に広がって割れ、中から卵白が流れ出す。
なまぬるくねばついた羊水にくるまれて零れ出たものの、真っ先に視界に飛び込むのはくすんだ赤髪。
どこもかしこも小さな身体をまるく縮こまらせて眠る、まごうことなき人の子だった。
卵から孵った子は、全身に浴びていた水分をきれいに拭いとられ、オベラルタの外套にくるまってすうすうと健やかな寝息を立てていた。
予備の外套に身を包んだオベラルタは、片手に眠る子を抱え、もう片方の手に収穫の大砂蠍が入った袋を肩に担いで、当初の予定通りに帰路についている。
『これをどうするつもりだ?』
尋ねるのはやはり、異形の鷹だ。幼子から距離を取るように周囲を旋回するさまを視線でたどりながら、オベラルタは答える。
「どうも何もない。身寄りのない人の子ならば、しかるべきところに預けるは道理だろう」
『……分かっておろうが、言わせてもらうぞ。それが人の子であるはずがない。卵から孵り、人も獣も魔物も無理やり捏ね合わせたような気配を持っている、尋常でない異物だ。
仮にこれが理性を持たぬ獣であれば、我々でも手に負えぬことになるやもしれぬ。それでも、連れていくか?』
「くどい。あの場に捨ておくのは人道に悖る。俺はそれしか頼りに出来ん」
苦言を単調にはねのけるオベラルタに、鷹は諦めたのかやけに人間くさいため息をついた。
『そうか。……そうさな、おまえをそうしたのは我であったよ』
鷹は急速に高度を下げながら、拡散するかの如くその姿を薄くさせてゆき、やがてオベラルタに吸い込まれるようにして溶け消えた。たなびく煙のような、微かな一言を残して。
『感情など、失うものではないな』