卵から孵った子 1-2

哀れな孤児か、厄災の怪物か。


 マカラタ・オアシスは、砂漠に覆われたマカラタ大陸で唯一、人間が住める場所だ。
 滅亡戦争を経た現在、人間と呼べる種族はヒュム族とフェイシス族のみとなったが、中でもより種族特性として貧弱なヒュムを基準として居住できるとなると、このオアシスを除いてマカラタ大陸には存在しない。
 決して楽な気候ではない。日差しは鋭く、水は湧いていても雨は年に数回降れば良い方。食料にも当然乏しい。海を挟んだ西大陸から月に一、二回程度やってくる商隊と狩りが頼りの、慎ましい暮らしだ。この厳しい環境に彼らが居を構えたのにも、滅亡戦争を発端とする歴史があるようだが、残念ながらオベラルタにはあずかり知らぬことだった。
 ともあれ、そんな状況の集落に厄介になっているからには、対価がいる。
 オベラルタひとりであれば、この一週間のように狩りと力仕事の手伝いで済む。だがこの拾い子はおそらく、見た目は六才ほどであっても、中身は文字通り生まれたばかりの赤子に等しいだろう。オベラルタはただの流れ者だった。オアシスの集落に、そんな幼子の世話まで負担する義理はない。
 何より、生まれた子を預けるにしても、オアシスは適切な場所とは言えなかった。言い方は悪いが、この地はあまりにも厳しすぎる。オベラルタは集落を発つつもりでいた。
 解体された三匹の大砂蠍を収めた袋を下ろすと、獲物を持ってくる役割を言いつけられたオアシスの子どもが三人かけ寄ってきた。この一週間ですっかりなじみになった三兄弟だったが、視点の高いいちばん上の兄が、オベラルタの抱える収穫ではないふくらみに気づいた。
「オルタなにそれ! なんか持ってる!」
「え、なになに、みせてみせて!」
「砂サソリじゃないの? なにひろってきたの?」
 兄の高い声を皮切りに、弟たちも役割を放り出してオベラルタの足にとりついた。きゃあきゃあと響く子どもの声を物ともせず、オベラルタは好奇心の塊たちを押しのける。
「あとで見せてやる。ちゃんと仕事ができたらな」
 その一言はてきめんに効いた。我先にと兄弟らは三つの袋を奪い合い、それぞれひとつずつの袋を抱えて母親のもとへ駆けていった。スムーズに追い払えたが、働き手という意識の高いオアシスの子どもたちでなければこうはいかなかっただろう。
 オベラルタは軽くなった身をゆすり、外套にくるんだままの幼子を抱えなおす。あれだけ周囲が騒がしくなったにもかかわらず、子は身じろぎひとつせず、相変わらず寝息を立てていた。
『呑気なものだ』
 姿を表さぬまま呆れた声のみを届けてきた鷹には一切反応を示さず、オアシスの長のもとへつま先を向ける。なんにせよ、戻った報告が必要だった。

「子どもを拾いました」
 開口一番、オベラルタはそう述べて、腕に抱えていた子を床に下ろした。外套にくるまれた丸いふくらみは、微かに上下して生きていることを伝えている。
 日干しレンガで建てられた単純な住宅は、それでいて集会所を兼ねている。一間の広々とした空間にむしろを敷き、さらに絨毯を敷いたやや奥の位置が長の定位置だった。
 長は齢五十半ばを過ぎた、壮年の屈強な男だった。砂漠の日に焼けた黒い肌には、深く皺が刻まれている。苦労をにじませるそれは、しかし決してくたびれた印象を与えることなく、むしろ彼の威厳をよく示しているようだった。髪を剃り落とした頭をなんとなしに撫でていた長は、床に転がった子どもを見てぴたりと動きを止めた。
「……拾った、だと? 大砂蠍の縄張りでか?」
「そうです。身ひとつで、外套さえなかった。俺が気づかなければ、今頃エサになっていたことでしょう」
 オベラルタは、あえて一部の事実を隠した。卵から孵った人でなき人の子のことは、オアシスで慎ましやかに暮らす人々には関係のない事柄だろうと判断したからだった。余計なことを知って、混乱を招くよりよほど良い。
 しかし、存在そのものを隠せるわけもない。砂漠で子を拾ったことをきちんと報告したのは、オベラルタなりの誠実さの表れだった。
「商隊があの辺りを通るわけもなし。密猟者か……? しかし密猟を目的にしていて、わざわざ子どもなど捨てたりするものか?」
「俺にはわかりかねます。あの子ども自身は何か知っているかもしれませんが、期待しないほうが良いでしょう」
「さもありなん。捨て子に事情を話す輩がそういるとは思えん」
 長は再び、つるりとした頭を撫でた。皺を刻んだ目元が、じろりとオベラルタを見つめる。
「……で。お前はこの子どもを連れ帰ってどうするつもりだ」
「どうとは」
「砂漠の子ならば我らに養えと? お前のことだ、身の振り方すら考えず拾ってきたわけではあるまい」
「そうですね。長の知らぬ子であれば、オアシスからさらわれるなどした子ではないのでしょう。俺が本大陸に連れ帰り、里親なり、肉親なりを探せればと考えております。あてはありますから」
「そうか。西へ戻るか。短い間だが、お前がいるのは頼りになったのだがな」
 不意に、転がった子が身じろいだ。長もオベラルタも自然と子を見下ろす。ごそごそと蠢いていた子は外套から頭だけを出して、オベラルタを見た。目が、合った。

 --ぞ、とオベラルタの背を、虫が這うような悪寒が駆け抜けた。

 信じられないほど透明な、大きな蒼い瞳が、オベラルタを射抜いていた。縦に細まる獣めいた瞳孔が、無感情にこちらを見つめている。オベラルタのように情感が抜け落ちているわけではなく、ただただ読めない、無垢でまっさらな視線。それが強烈な違和感として叩きつけられている。腰の剣に思わず手をかけてしまったのも、オベラルタの身体が無意識に脅威と感じたからに他ならなかった。
「目が覚めたか。気分はどうだ?」
 子と目を合わせなかった長は、何事もなく気遣う言葉を投げかけた。子はその鮮烈な視線をふいにオベラルタから逸らし、起き上がろうとまた蠢く。
 しかし、子は自身の身体をうまく動かせないようだった。腕と足と頭がてんでばらばらに動いている。立ち上がることも、歩くことも知っているのに、そのための動かし方がわからないような奇妙な動き。
 長がその様子を見て、憐れむようなため息をついた。
「歩き方さえわからなくなってしまっているとは、どれだけの扱いを受けたのか……。オベラルタ」
 子の動きをつぶさに観察していたオベラルタは、名を呼ばれて顔を上げる。
「この子どもが旅に出られるようになるまでは、日々の狩りを免除したうえで滞在を許可する。快復したら、必ずまことの親か、良い里親を見つけて送り届けよ。子が無事に腰を落ち着けたと我々に確かに伝えることを、今後の滞在の対価とする」
「承知いたしました」
 果たして、この異質な生まれの子が穏やかに暮らせるようになるのか。--そも、人として生きることができるのか。
 とても確信の持てるものではなかったが、そのとき、オベラルタは頷いて頭を垂れるしかなかったのだ。


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