価値の証明

私に、価値はあるのだろうか


 最も貴き濃紺の色を纏うのは、私には重い。
 袖を通しながら息をつく動作に意味はない。「価値ある魂」たるレプテヴィニオンには、その存在価値を下々の者どもに知らしめる義務があるのだから。
 そんな貴族階級めいた意識が、世を乱している要因のひとつなのだとSYGGのお偉方はいつ気づくだろうか——いや、きっとその機会は永遠にないだろう。
 身だしなみを整え、私は振り返る。玄関口の前で微動だにせず佇んでいる、私の護衛レグーを無感情に見つめる。ガラス玉のような瞳が、私と同じく無感情に見つめ返してきた。
「出かけます。追従なさい、レグー」
「イエス、マスター」
 レプテヴィニオンは、生きているだけで価値がある。——厳密には、SYGGに所属する人間は、というべきだろうか。
 「価値ある魂」の持ち主は、すべからくSYGGに所属することを義務付けられる。尊ぶべき玉体を守るべく、フルオーダーメイドの護衛アンドロイド、「レグー」を得る権利を与えられる。レグーを得たSYGGの人間を特に「レプテヴィニオン」と称するのだが……まあ、レグーを求めない人間はまずいない。
 道を歩けば三日に一回は通り魔に出くわすのだ。誰だって自分の命は惜しい。その身を投げ出し、命をかけて守ってくれる無償の用心棒はいて困るものではない。
 故にレプテヴィニオンは、価値ある魂の主とほぼ同義だ。そして、私も。
 自分の命が惜しいばかりに、「価値ある魂」としての特権を甘受している。
 歩く速度は緩めずにはあ、と二度目のため息をつくと、きっかり三歩後ろを追従していたレグーがチョコレートのかけらを差し出してきた。ストレス緩和剤としてだろう。ありがとう、と微笑んでも、ガラス玉の瞳と凍りついた表情は一切変わらずに、もとの距離へと戻っていった。
 私は「価値ある魂」なのだから、本来、仕事などしなくてもいい。存続しているだけで価値がある。それを受け入れて、自堕落に生きても私たちは許される。しかし、「私」は到底、それらを自分に許すことができなかった。
 私は「価値ある魂」として、その価値を分け与える義務がある。この忌々しい濃紺の制服で見せびらかし、吹聴するのではなく、その価値を証明しなければならない。証明することを、自分とこのレグーに誓った。
 毎日、犯罪者の取り締まりの補佐に出かけている。ボランティアにも勤しんでいる。私にできることがあれば何でもやる。その気概のもと、今まで生き続けてきた。他ならぬ私が、価値ある魂に見合う価値であるように。
 なじみの警官を見かけて手を振ると、彼もにこやかに返して駆け寄ってきた。
「おはようございます、レプテヴィニオン=リィジー。本日もお力を貸していただけるのでしょうか?」
「おはよう。悪いけど、今日は先約があるの。でも何かあったら呼んでちょうだい、力になるから」
「かしこまりました。我らがレプテヴィニオン、その魂の輝きがいや増しますように」
 あまりに聞き慣れた決まり文句に反吐が出そう。彼は昨今にしては珍しく善良で正義感に満ちた人だが、その「常識」っぷりがまた考えものなのだった。
 それを得意の微笑み(レプテヴィニオンに笑顔を投げかけられて、喜ばない人間はいない)でごまかして、彼の元を離れる。その後ろを律儀に、哀れなほど純粋に、レグーが追従する。レグーは私の護衛以上の何物でもなく、私の脅威でない彼にとっては、レグーにとっても、彼にとっても、お互いを認知する価値すらない存在なのだった。
 足早に目的地へ向かっていくと、徐々に空が鈍色に変わってくる。大気洗浄が行われていない証だ。この地区から大気洗浄費が納められていないことの証左でもある。つまり、それさえも払えないような貧乏人が暮らす地区であり、治安の悪さも二割三割の確率で跳ね上がる。そこに身なりの良いレプテヴィニオンが訪れたとなれば——。
 動きは一瞬だった。私の死角から鞄を奪い取ろうとした歯抜けの男は顔面を殴りつけられて吹き飛び、その流れのまま、飛びかかって押し倒そうとした男もまた強烈な回し蹴りで首をおかしな方向に折れさせて倒れた。
 返り血一滴浴びることなく護衛の義務をこなしたレグーは、ぴたりと元の姿勢に戻る。寸分狂いもなく、私の三歩後ろ。不届き者に与えたダメージの大きさは、私への危険度の大きさに比例している。
 歯抜けからさらに歯が減り、鼻血を流す男を見下ろして私は「レプテヴィニオンらしく」尊大に、愚民を嘲笑いながら言い募った。
「身の程をわきまえて襲う相手を選ぶのね。この濃紺が見えないのかしら。それとも、その意味すらわからない程に学がないの?」
 ヒィヒィと情けない声を上げながら、男は這うように逃げていった。首を折られた男はぴくりとも動かない。恐らく死んでいるが、私は咎められない。自ら治安の悪い地に赴いたとて、「価値ある魂」を襲う方が悪いのだ。そういうことに、なる。
 大気洗浄費も払えないほどの地区に暮らす生活レベルになると、彼らの知識は生き残るための必要最低限のものになる。その子どもたちもそうだ。学がなく、「価値ある魂」の意味どころか存在すら知らないことさえある。彼らの知見は狭いのだ。私の身を以てその存在を知らしめ、せめて心ない「価値ある魂」に無意味に殺されることがないよう振る舞い、その危険を知らせることくらいしかできない。
 ——そしてこれが、決して正しくないこともわかっている。根本的な解決にはならないし、結局それで毎回死者を出していたら、手慰みに人を殺して許されているようなレプテヴィニオンと何ら変わりないのだ。しかし私には、何もしないままでいるということもできず、かといって体制そのものを変えるような大それたこともできず。
 何を以て、私の魂には価値があるのだろう——。
 私はレグーのホルスターからハンドガンを抜き去った。レグーは身じろぎひとつしない。その銃を私のこめかみに当ててみせても、レグーのガラス玉の瞳、凍りついた表情には寸分の狂いもない。
 当然だ。私の脳波も心音も、すべてレグーは把握している。脳波が常時のものと変わらず、私に本当に私を殺す気概がなければ、レグーは一切の反応を示さない。そのことに、ほんの少しだけ、落胆する。幾度試しても、幾度も落胆する。
「リィジー」
 声が、私を呼ぶ。レプテヴィニオンではない、まぎれもない「私」の名を。
 私は見上げる。"彼"を。そこにはレグーではない、まぎれもない"彼"がいる。
「リィジー。君は間違っていない。君は、君の思うように、君の最善を尽くせばいい。君が君の正義を尽くそうとすることが、『価値ある魂』の証明にきっとなるのだから」
 ああ、だめだ、いけない。そこにレグーではなく"彼"がいることに気がついてしまった。ガラス玉のような瞳にひかりがある。彼は私を案じている。それは「レグー」には必要ない。あってはならない。
「黙りなさい、レグー。レグーの領分を超える行為が見受けられた場合、例外なく廃棄処分なのはわかっているわね。だから、黙って、……レグーのままでいて、セオドア」
 この"彼"は果たして幾人目か。首に焼きつけられた変わらないレグーのマークと、無情に増え続けるシリアルナンバーが、私の罪を突きつける。出会うたびに性格の違う、見知った顔の知らない誰か。
 彼はずいぶん、職務を全うしてくれたほうだった。
 かちり、と銃の安全装置を外す音。それが合図。凍りついた表情に、ほんのかすかな、ほころびた微笑を浮かべて、彼の左手は躊躇なく自身の頭蓋を撃ち抜く。
 自壊システムは滞りなく働いた。自我を持ち、レグーとしての職務を果たせなくなったものは、埋め込まれたチップが左腕のみを操作し例外なくそのレグーを破壊する。
「…………ごめんなさい」
 壊れた"彼"に、私はそれしか言えなかった。

「同じDNA情報からの復元にも限界はあります。レグーを使い捨てるのは構いませんが、いずれこのDNAからのレグー作成は不可能になりますよ」
「……存じております」
「理解していただけているのではあれば、それで構いませんけれども」
「あの、」
「なんでしょう?」
「性格を、まったく同じにすることはできないのでしょうか。職務をまっとうするだけの、冷酷なレグーにする、とか」
「できません。以前も申し上げたかと思いますが、レグーは主人になる『価値ある魂の主』その人、あるいはその近しい関係者のDNA情報を基に、培養した人体をベースにして作るフルオーダー・アンドロイドです。外見はどうとでもなりますが、人体がベースである以上、脳のはたらきである性格を完全に再現することは現在の我々の技術では不可能です。レグーは本来、そういった感情や自我のようなものを排除していることを前提で作られているはずなのですがね。そもそも」
 レグー・オーダーの担当者にじろりと睨めつけられて、私は肩を縮こまらせた。
「貴女のレグーの自壊率の高さは、その"レグーの性格"を求める故だと自覚されてはいかがですか?」
 唇を、噛む。
「本来は意識さえするものではないのに。貴女はこうして作られるところまで見にいらしている。そういうところですよ」
 培養槽の中で今まさに作られている、255の数字を刻まれたセオドアは、未だ私を知らぬまま眠っている。


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