自我の在処

生まれ出づる私は、誰か。


 起動せよ。『世界の財産』『価値ある魂』『尊ぶべき至高の主』『レプテヴィニオン』を守護せよ。それが我々に与えられた責務であり、義務であり、存在意義である。
 声紋と脳波による二重認証キーでレグーは起動した。培養された肉の眼球がマスターの姿を映しこむ。認証され、流れ込む脳波パターンはまぎれもなく『価値ある魂』のものだが、健康状態に支障ないレベルで乱れているようだった。濃紺に尊きレプテヴィニオンのシンボルがあしらわれた制服に袖を通しながら、なにやらマスターは深いため息をついている。
 起動したレグーは、後ろ手に手を組む待機モードでマスターの指示を待っていた。マスターの指示なしでの行動は、主人への害意への反応対応のみが許されている。そもそも、それ以外の用途を目的として作られていない。
「出かけます。追従なさい、レグー」
「イエス、マスター」
 声紋と脳波の二重コマンド。濃紺の制服をまとい、シンボルを背負った背中を向ける主の、寸分違わぬ3歩後ろにぴたりとついて、レグーの1日は始まる。

 SYGGのクラウドデータベースに接続すると、リアルタイムで現在の他の『価値ある魂』およびレプテヴィニオンの位置、レグーの交戦記録がストリーミング再生されていく。交戦記録のうち、未知のパターンのみダウンロードしてつねに戦闘データを最新のものに更新しておくのは、レグーに組み込まれた機構のひとつだ。
 『価値ある魂』には、かすり傷ひとつ負わせてはならない。自身のマスターを最優先にしつつ、近辺でレグーを持たない『価値ある魂』への害意が察知された場合でも、対象をすみやかに排除するよう構成されている。そのために、戦闘パターンはいくらあっても困るものではない。人間というものは、時に予想もつかない方法と理由で他者を害することができるのだから。
 2度目のため息。それからかすかな脳波の乱れ。『価値ある魂』へのなんらかのストレス負荷が見受けられたので、鎮静作用のある人工甘味料をひとかけら差し出す。マスターはありがとう、と微笑み、レグーは3歩後ろの距離に戻って追従を続けた。
 このレグーのマスターは、あまりレプテヴィニオンらしくない人間だ。
 大概のSYGGに属する『価値ある魂』の持ち主らは、自分たちの特権階級を甘受する。あらゆる税を免除され、街では無償のサービスを受けられ、フルオーダーメイドの護衛アンドロイド『レグー』を得つレプテヴィニオンとなる権利がある。衣食住の一切をSYGGに保証され、事故や事件に巻き込まれる前に保護され、罪が罪とならない。労働する必要もなく、ただ「生きて存続するだけで価値がある」存在と定められている。
 その理由はただひとつ。彼ら、彼女らの脳波パターンが貴重なものであるからだ。その「価値」とはいったいなんなのか? それらはレグーはもちろんのこと、本人たちにさえ知らされていない。
 『価値ある魂』とだけ呼ばれて特権を享受することが、マスターのストレス負荷の要因であり、納得がいかないことのひとつであるようだった。毎日のように出かけ、犯罪者の取り締まりに加わったり、ボランティアと称した無償労働に精を出している。強迫観念にとりつかれているかのように、執拗に、懸命に。
 マスターが、582回顔を合わせている警官に手を振ると、その警官は足早に駆け寄ってきた。外観スキャン。害意はなく、好意が8割。2割は羨望。
「おはようございます、レプテヴィニオン=リィジー。本日もお力を貸していただけるのでしょうか?」
「おはよう。悪いけど、今日は先約があるの。でも何かあったら呼んでちょうだい、力になるから」
「かしこまりました。我らがレプテヴィニオン、その魂の輝きがいや増しますように」
 2割の羨望が嫉妬と殺意に変わる可能性は決して低くない。直近のデータベースでは、1割の潜在的な羨望感情を持っていた一般人が、1485回目の邂逅で『価値ある魂』の殺害を試みた例があった。当然、それは近辺にいたレグーによって『価値ある魂』が知る前に排除された。
 警官から離れて再び歩き始めたマスターを追従する。脳波分析によると、マスターから警官への感情は6割の友好と4割の諦観だった。

 マスターが向かっているのは非大気洗浄区域。収めるべき大気洗浄費を収めることができない、金銭的に恵まれない者が集められている地区で、本来ならば『価値ある魂』が足を向けるような場所ではない。より治安が悪いのは当然、ここを訪れたレプテヴィニオンに近づいた人間は92パーセントの確率でレグーに殺害される。
 案の定、一歩足を踏み入れたとたんに背後からマスターに近づき、カバンをかすめ取ろうとしていた男は、気配を察知された瞬間にレグーの恐るべき反射によって顔面を殴り飛ばされていた。結託してマスターに飛びかかり押し倒そうとした男には首に回し蹴りがクリーンヒット。ごきり、とおかしな方向に首を折れさせて地に落ちた。
 返り血一滴すら浴びることなく護衛の義務を果たし、レグーは元の位置に戻る。マスターのきっかり3歩後ろの追従姿勢。
 一連の動作を確と見届けて、ことさら濃紺の制服と、その背のシンボルを生き残った男に見せつけながら、マスターは他のレプテヴィニオンのように男を嘲笑した。
「身の程をわきまえて襲う相手を選ぶのね。この濃紺が見えないのかしら。それとも、その意味すらわからない程に学がないの?」
 鼻から血を流し、歯も吹き飛ばされた男はヒイヒイ言いながら這って逃げていった。その背中を見送りながら、マスターの心音が速まる。恐ろしかったのだろうか、いや、そんな脳波は検知されていなかった。……後悔?
 このマスターは、今の行動を悔いているようだ。『価値ある魂』としては見下して当然の輩を嘲笑したことを。やはりその心はレプテヴィニオンらしくないもの。
 レプテヴィニオンとレグーは、心音を共有する。DNAから培養された肉の殻に機械の骨子を入れた身体が、意図された行動から逸脱しないように。そしてレプテヴィニオンの脳波によってのみ、レグーは指令を受けられる。逆を言えば、レプテヴィニオンの精神の乱れの影響を、レグーはそのまま受けるのだった。
 マスターの脳波は、後悔とともに過去を追っていた。記憶の時間を逆流し、ただひとり、彼女を「彼女」として見ていた人影に、今の行為の許しを乞うている。その姿を、心音と脳波に連動して、レグーも追う。追ってしまう。
 マスターは、その追想を意識さえしていないだろう。しかしレグーという科学技術が編み出した処理能力は、本人が意識さえしていない記憶のかけらを拾い上げてひとりの人間を形作った。
 セオドアという、レグーと同じDNA構造を持った男を。
「リィジー」
 レグーの肉の殻は、骨子が意図しない言葉を紡いだ。レグーが発すべきでない音律を発生させる。振り返ったマスターがレグーを見上げた。伝わる脳波の中に、歓喜があったのはほんの一瞬だった。愕然とする彼女に、肉の殻はなおも語りかける。プログラムエラーを知らせるビープ音が、レグーの体内で鳴り響いていた。
「リィジー。君は間違っていない。君は、君の思うように、君の最善を尽くせばいい。君が君の正義を尽くそうとすることが、『価値ある魂』の証明にきっとなるのだから」
 これはレグーの職分に反する行為だ。レグーとて意図した行動ではない。こんな言葉を発せるようにプログラムされていない。再生された肉の殻が、ないはずの記憶をなぞって再生するのだ。
 マスターの心拍数の上昇が止まらない。引き起こしているのはレグーだ。直ちに止めなければならないはずだったが、もう遅かった。わかっていても、マスターは言わずにはいられなかった。
「黙りなさい、レグー。レグーの領分を超える行為が見受けられた場合、例外なく廃棄処分なのはわかっているわね。だから、黙って、……レグーのままでいて、セオドア」
 レグーの左手がホルスターから銃を抜き出し、安全装置を外した。かちり、という小さな音は、レグーに対する死刑宣告。
 往々にしてあることなのだ。レグーにあるべきでない、自我が発生することが。果たして肉体の反射による行動が自我と呼べるものであるかはともかくとして、領分を逸脱するレグーはあらかじめ仕込まれた自壊プログラムによって自らを破壊する。たとえ発生した自我が抗おうとしたところで意味はない。レグーの左手に埋め込まれたチップは独立した命令系統を持っている。どう止めようとしたとて、レグーの左腕は躊躇なく銃の引き金を引く。
 レグーは、今朝、マスター越しに見た姿見の記録を再生していた。そこには毎日変わりないレグーの姿が映っていた。DNAから再生された「セオドア」の肉体に、レグーとわかるように首に焼きつけられたマークとシリアルナンバー。その数字は255を示していて、彼女はレプテヴィニオンとなってから、これまで254人のレグーをこうして喪ったのだろう、と詮無いことを考えた。そして自分は、その中でもずいぶん長く彼女の側に侍ることができたのだろう、ということも。
 意味のない思考を破壊すべく、レグーの左手は自身のこめかみに銃身を当て、そして。
 --彼女の、「ごめんなさい」という、声を聞いた。

「同じDNA情報からの復元にも限界はあります。レグーを使い捨てるのは構いませんが、このDNAからのレグー作成はもう限界に近い。次はないと思ってください」
「……存じております」
「理解していただけているのではあれば、それで構いませんけれども」
「あの、」
「なんでしょう?」
「職務をまっとうするだけの、冷徹なレグーをつくることはできないのでしょうか」
 暗に自壊しないレグーを求める我儘な女に、レグー・オーダーの担当者はため息をついた。
「レグーは本来、そういった感情や自我のようなものを排除していることを前提で作られているはずなのですがね。以前も申し上げたかと思いますが、レグーは主人になる『価値ある魂の主』その人、あるいはその近しい関係者のDNA情報を基に、培養した人体をベースにして作るフルオーダー・アンドロイドです。『価値ある魂』の脳波を受容するために、人体をベースにすることが不可欠なのです。すると、レプテヴィニオンの脳波状態に刺激されてベースを基に固有の人格を構築することがある。それを防ぐための自壊システムです。きちんと主人がレプテヴィニオンとしての自覚を持って、レグーの運用をすればこのようなことは頻繁には起こらないはずです」
 じろりと睨めつけると、「価値ある魂」の持ち主は肩を縮こまらせる。
「貴女のレグーの自壊率の高さは、貴女にレプテヴィニオンとしての自覚がないから。そういうことになりますね」
 女は、唇を噛む。
「本来はその存在を意識さえするものではないのに。貴女はこうして作られるところまで見にいらしている。自覚がないとは、そういうところです」
 培養槽の中で今まさに作られている、255の数字を刻まれたレグーは、未だ主を知らぬまま眠っている。


(c)Mineakira/Gomokumame
since 2013