連続と並行の時間考察

時間は連続しているのか、観測者の数だけ並行するのか?


「ぼくは物理学者になって、タイムマシーンを発明してみせる。歴史をよりよい方向に改変するんだ」
 《彼》は僕に向かって力強くうなづいてみせた。僕は《彼》の顔を見る。 顔つきを見た限りでは、《彼》は本気でタイムマシーンを開発するつもりでいるらしい。
「過去を変えて、そう簡単に歴史が変わるかな」
「変わるさ。時間は連続性を持っているからね。例えるなら、永遠に紡がれつづける一本の糸だ。一度紡がれたところの紡ぎ方を変えれば、その後紡がれる糸は変わる。時間も同じさ」
「やれやれ」
 僕が肩をすくめてみせると、《彼》は機嫌を損ねたようだった。
「今ので納得できるだろ。過去に戻れるタイムマシーンさえあれば、歴史は変わる」
「僕は君のようにそう単純には割り切れないね。時間は並行的に存在する可能性を持っていて、観測されることで初めて事実として収束すると考えているから。一本の糸なんて単純な話じゃないと思うよ」
「なんだって?」
 《彼》は目をぱちくりさせたあと、腹を抱えて笑い出した。
「何を言っているんだ君は。時間は直線的だろ?常に一定のベクトルを向いて流れ続けている」
「その時間の流れの中にいるすべての存在が、流れの中でなにかしらの選択をしているはずだ。その選択で事実が収束した結果が、今僕たちがいる時間なんじゃないのか?」
「君が何を言いたいのかさっぱりわからないよ」
 僕はポケットからコインを出した。すっかり酸化して茶色に変色した10円硬貨だ。
「これから僕がコイントスをする」
 コインを指先で弾く。コインが回転しながら上昇し、そして落下してきた。それを手の甲で受け止めて、どちらが上かわからないようにもう片方の手で覆う。
「表と裏。もう決まっていると思うかい?」
「そりゃあ、決まっているだろう。君が受け止めたときに、表か裏か、どちらかになっている」
「でも、僕たちにはこのコインが今、表なのか裏なのか、わからない。今、このコインは表である可能性と裏である可能性、両方を持っている」
「つまり、何が言いたいんだ?」
 《彼》が苛々しはじめたので、僕はてっとり早く話を進めることにした。
「シュレーディンガーの猫さ」
「はあ?」
 《彼》が知らないようだったので、僕は説明を付け足した。
「有名な思考実験だよ。猫を箱に入れる。その箱には仕掛けがあって、2分の1の確率で、箱の中の猫は死ぬ。開けていない箱の中の猫は、果たして生きているのか死んでいるのか、ってね。今のコイントスと同じ話」
「だから、それが何の関係があるんだよ?」
「君の言う通り、時間が直線的であるならば、箱の猫も、コインも、既にどうなっているかが決定されていることになる」
「実際、そうだろ?そのコインは表だったら表だし、裏だったら裏だ。猫だって死んでたら死んでるし、生きてるなら生きてる」
「もう一度いうよ。時間は君の言う通り流れているのなら、もう既にこのコインは表か裏かが決定されている。決定されているなら、言えるはずだ。さあ、このコインは表と裏、どっちなんだ?」
「そんなのわからない」
「じゃあ、決定されているなんて言えないじゃないか」
「屁理屈だ」
 そうは言ったものの、それから《彼》は口を閉ざした。どう言い返せば僕を言いくるめられるか、思考を巡らせているのだろう。僕は《彼》が口を開くのを待たずに、つづけた。
「世界はいつでもなんらかの選択を迫られている。その中で、観測された選択だけが、僕たちの前に現れるんだ。観測された事実は主観的なものだから、観測されなかった方は選ばれずに消えるんじゃなくて、別の未来として僕たちの主観から分離する。消えることなく、並行に、時にはまた交わって、複数の時間が同時存在していると思うんだけど、どうだろう?」
 《彼》は黙ったままだ。僕はコインを覆っていた手を退かした。コインは表だった。
「これで、僕たちの主観ではコイントスの結果、コインは表だった、ってことになる。でも、僕たちが観測してない領域で、コインが裏であったという事実もまた同時に存在している、と僕は考えてるんだよ。選択によってわかれて、それでも、僕たちの主観を離れたところで存在している」
 小さなコインを指先で弄ぶ。相変わらず、《彼》は黙っていた。
「ついでに。仮にタイムマシーンが完成して、過去に戻ったとする。そしてなんらかの手を加えて、歴史を改変したとする。改変された未来での僕たちはその主観での人生を歩んでいくだろうけど、改変した僕たちはどうなる?別に何も変わらないと思うよ。既に観測され決定された主観を持ってしまったから。過去にタイムマシーンはないと思うから、未来という名の僕たちの現在に戻ってくることもできない。宙ぶらりんになってどうしようもなくなると思うよ」
 だからね、と僕は続けた。
「もう僕たちは観測し、僕たちの主観を決定させてしまった。僕たちの主観で死んだ人間は、生き返ったりはしないんだよ」
 《彼》は肉塊に成り果てた彼女を抱きかかえたまま、さめざめと泣きだした。


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