痩せこけたハイエナの言い分

空想に生きる少女と冷徹なハイエナ。


 少女は「少女」というだけである種の強者なのだ。救いを訴えるのが大の大人の男と、少女だったら。比較対象が極端だと言うのであれば、女性と少女、どちらを選ぶか。大概は少女の手を取るだろう。それが一般論というやつだ。女と子供、事実はどうであれ、何かにつけて庇護すべき対象としてすりこまれてきた意識は、少女という存在を圧倒的弱者として認識する。弱者であるということは、強者には持ちえない絶対的なアドバンテージを持っているということにほかならない。それが強者であるメリットを越えるかどうかは、また別の問題として。
 長々と言ったが、つまるところ目の前で笑っているこの少女は、そういった弱者として育てられてきた強者だということだ。
「目的地まで半分を切ったけど」
 俺は当たり障りのなさそうなところから始めた。女、こと年頃の少女は沈黙を嫌うものだ。かといって天気の話でも持ち出そうものなら、話題を持たない男として興味をなくされてしまう。ただでさえ、このぶっ壊れた世界の空はいつだって同じ有害物質の毒々しい黒に覆われているというのに。まったく面倒な生き物だと言わざるを得ない。
「到着したら、まず何がしたいの?」
 話題の主導権をあえて譲ってやる。すると、少女というのは聞かれもしないことをひたすら喚く装置と化す。本質的におしゃべりなんだろう。そうなってしまえばこっちのものだ。俺は「ああ」とか、「うん」とか、「そうだね」のような意味のない相槌を、時には単語を拾ってオウムみたいに返してやればいい。長く付き合うなら話の内容を覚えておくというとんでもなく面倒な過程が必要になるが、その場限りの関係ならそれだけで済む。
 案の定、話を振られた少女は、見えてもいない瞳をらんらんと輝かせて語り始めた。まったく。
「私ね、子どものお世話がしたいの。特に、親を亡くした子どもたち。いま、そういう子ってたくさんいるでしょう?」
「そうだね」
「私、なんにもできないし、なにも見えないけれど、頑張っていろいろなことを覚えて、できるようになるわ。それに、私みたいな子がきちんと働いて生きられたら、私のような人たちの支えになれると思うの」
「それで?」
「まず、街に着いたらイザベラおばさまにごあいさつするわ。私を引き取ってくれるなんてとっても良い人。きっと優しい方だから、私が働きたいって言ったら快く協力してくれるの。孤児院がいいかしら、食糧配給のボランティアでもいいわ。お仕事探しのお手伝いでもいいかもしれない、街ならそういうこともやってるのよね。
 とにかく、私、みんなに生きる希望を持ってほしいの。まだまだこの世界も捨てたものじゃなくて、死んでしまうより生きている方がずっとずっと素敵だって思ってほしいのよ。……わかるかしら?」
「とてもよくわかるよ」
「よかった! このお話をすると、みんなため息をつくのよ」
 そりゃそうだ。俺だってつこうとした息をなんとか呑みこんだところだ。
 延々と続きそうな少女の夢は、俺が何気なくセットした旧時代のジャズ・ミュージックのリズムに乗って弾んでいた。馬鹿馬鹿しい。吐き気がするくらい砂糖をぶちまけたような少女の声は、高くうわずっていてとかく耳障りだった。
「そういえば、君の名前は聞いたけど」
 これ以上妄言を垂れ流されたくなくなった俺は、話題を露骨に切り換える。「故郷の話は聞いてないな」
 「そういえば」は便利な言葉だ。とにかく聞きたくない話になったら使っておけば、そいつがしゃべるのに頭を使っていなければいないほど効力を発揮する。つまり話がどこかに飛んでくれる。
「そこじゃダメだったの? その、人を助けるようなことは」
 少女は表情を曇らせた。眉尻は下がるがうつむいてはいなかった。見えていないからだろうか、それでもこういう時でもテンプレートがだいたい当てはまる。
 人には言えないような重たい話を、軽々しく始めたい時。
「お屋敷だったの。街じゃなかった。それに、お屋敷の外にもこれまで出たことがなかったわ。必要なかったもの。全部マザーが私たちのお世話をしてくれた。私たちっていうのは、私だけじゃなくて、私と同じような女の子が他にもいたってことなのだけど」
「うん」
「それで、マザーのところには服も食べるものもあるから、親を亡くして行き場がなくなった子が来るのよ。新入りの子は私たちでお世話するの。でも、それだけなのよ。大きくなったら、新しくやってくる子のお世話をするか、いまの私みたいに、働ける場所とか、引き取ってくれるおうちに行く。その繰り返し。マザーは女の子しか引き取らないの。お屋敷じゃ、男の子は救えないのよ。それじゃダメよ。マザーは私たちとお屋敷で手一杯、なら私が動けばいいのだわ。そうでしょ?」
 頭が痛くなってきた。俺は壁に引っかかっているだけの薄汚い額縁を眺めていた。下に古ぼけたタイトルプレートがしがみついている。『最後の晩餐』。
「マザーもね、お屋敷育ちなんですって。もし帰省するようなことがあったら、街のお話をしたら喜ぶかしら……あら、どなたかいらっしゃったの?」
 少女が飽きもせずしゃべり続け、俺がいつ誰が描いたのかも知れない汚い絵の残骸を見ている間に、中年の男が奇声をあげて飛び込んできた。おおかた、未だ残っていたこの旧時代の遺物のぼろ家になら何かあると踏んでやってきたのだろう。そこにいたのは年若い女だ。飛びつかない方がおかしい。
 少女に手が伸びる前に、男の脳漿は鉛玉にぶち抜かれて飛び散っていた。銃声はサイレンサーに阻まれて響かず、パスッ、と軽い音がしただけだった。やっぱり銃は実弾に限る。レーザー銃なんかクソくらえ。
「なにか……?」
「酔っぱらいだよ、たぶんね」
 酔うは酔うでも中毒物質の方だろうが。飢えをまぎらわせるためにあちこちでばらまかれているソレに頼る気持ちは、まあわからなくもない。俺は好きじゃないというだけの話。
「そのうち迎えが来るよ、気にしなくていい」
「そう? それなら良いのだけど」
 一貫して嘘は言っていない。お迎えというやつが来てるか来てないかなんて、何も見えていない少女にとってはどちらでもいいことだろう。見えてないなら無いのと同じ。当然だ。
「ええと、どこまで話したかしら。そう、マザーよ。本当に良い人なの。私たちに教養を教えてくれて、衣食住を無償で提供してくれて。私が街に行くための資金も出してくれて、こうやってあなたを雇って送り出してまでくれているのよ。いまどきいないわ」
「そうだね」
 ここで「そうだね」を使い切った。一回の会話で同じような相槌は二度が限度だ。
 旧時代のジャズ・ミュージックは壊れかけていたのか、いつのまにか悲鳴を詰めこんだバンシーのコーラスに様変わりしていたので、俺は再生機をひったたく。名前も知らない旧時代の音楽機は、最後の悲鳴をあげたきり動かなくなった。
「壊れてたみたいだ。音楽は好き?」
「ええ、好きよ。でもさっき流れていた曲よりは、もっと穏やかなほうが好みだわ」
 わがままめ。
「そろそろ時間だ。休憩はやめにして出発しようか」
「わかったわ」
 素直にうなずいた少女の手をとり、男の残骸を乗り越えて外に連れ出す。この女には今いた場所がどんなところだったのかすらわかっていないのだろう。俺もよく知らない。屋根があり、机と椅子がいくつもあり、音楽があり、絵画があり、人をもてなせるようなカウンターがある。さぞ金持ちだったのだろう。目の前で手をさまよわせている少女と同じような。愚かな女にはお似合いだろう。優しい世界で真綿にくるまれるようにして生きてきた、このクソッタレな少女には、クソッタレな旧時代の遺物がお似合いだ。
 本人に悪気があるとはもちろん思っていない。だがいまのこの世界には、もてあそばれてぶっ壊れてしまったおもちゃの残骸しか残っていないような世界に、その優しさを受け入れられるような余裕はこれっぽっちもない。弱者の弱さが力に反転するのは、生きている余裕がある世界だけだ。死んだ世界では弱いものは弱いままだ。弱いことを自覚しないままに、糧となって殺されていくだけだ。
 俺の手を離し、おぼつかない足取りで歩き始めた少女の生白い背中に、パスッ、と軽い音がぶちこまれる。え、と声を発する間もなく少女は倒れた。びくびくと生理的に震えていた身体が静かになるのに、そう時間はかからなかった。
 やれやれ。俺は相棒をしまって少女の身体を物色する。断っておくが、俺に屍姦趣味はない。女に飢えてそういう趣味に走った知り合いはひとりやふたりじゃきかないが、あいにく俺は、肉に空いた穴に興奮するほどの性欲の持ち合わせはなかった。少女は「街」とやらに移住する気でいたから身の回りのものを多少持ち合わせていたし、このご時世、新鮮な肉というのは貴重だ。金品は残念ながら役に立たないので放っておく。いったいどこでどう使うつもりだったのやら。
 マザーとやらも趣味が悪い。少女を引き取って大切に大切に育て、大きくなったら興味を失くしてポイときた。物資まで与えて殺そうというのだから、まったくいいご身分だ。そいつから仕事として報酬をもらっているのだから、俺もとやかく言えないが。
 使えるものはすべて頂くと、もはや赤黒い肉の塊に白っぽい固形物がちらほら見えるだけのモノだった。背にしたぼろ家から、壊れた悲鳴のジャズ・ミュージックが、軽快に響いていた。
「悪いな、「街」なんてものは、もうどこにも存在しないよ」


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