あるひとりの妖精の話
「王」を語る選抜の、前日譚。
やわらかな喧噪の隅にひっそりと座って、本を読むのが好きだ。
騒がしすぎない、けれど静かすぎない音のカーテン。包みこまれている錯覚が心地良い。
頁をめくる。紙のこすれる音。一度目を閉じて、その音に身を任せてから、次の頁を見る。それを繰り返すのが癖だ。
ふ、と集中が途切れて、本から顔を上げた。喧噪がない。陽の光が射しこむ巨木の下、たったひとり残されていた。
誰も彼を気にかけない。誰にとっても、彼はいないも同然で、そして彼自身もまた、その方が心安らかであれた。
空気のように扱ってくれるのが一番楽で、また自分に合っていると思っていた。
どうして、こんなに自分は誰からも見られないのか、いつからこうだったのかはわからないけれど、これでいい。彼らと自分の関係は、これが一番正しいありかた。
だから、なぜ自分が選ばれたのか、彼にはまったくわからなかった。本を片手に、顔しか知らない誰かからそれを告げられて、ひどく驚いた。
「僕が妖精王に?なぜ?」
「そこに理由はないのです。貴方は選ばれた、その事実だけがあるのです」
そんなものか。彼が誰にも認識されないことにおそらく理由はない。だから、彼が王に選ばれることにも、また理由はないのだ。
「正確には、六人の王候補のうちのひとりに、です。王に選ばれることなくば、貴方は根源として還り、ここへ帰ってくることはできないでしょう」
「そっか。わかった。いくよ」
六人も他に候補がいる。なら、王になりたいものも中にはいるだろう。そのものに譲ればいい。
王様は、王様になりたい人がなるべきだ。やりたいことがある人がやるべきだ。
僕のような、ぼんやりと生きているものが、なるべきものじゃない。
彼に選出を告げた青い妖精は、他にも彼にいろいろと説明をしていなくなったが、彼の心持ちは変わらなかった。むしろ、その思いを強固にしたと言っていい。
騒がしすぎない、けれど静かすぎない喧噪の隅に、ひっそりと佇んでいる。
『根源に還る』とは、そういうことじゃないか、と。
ふにゃり、と相貌を崩して、露草色の妖精は微かにわらった。